吐く息が白くなる程冷え込んだある朝、伊藤さんとおっしゃる若い女性が出勤途中に道端ですっかり弱ってうずくまっている猫を見つけてきました。成猫でありながら体重は1.2kgしかなく、体温は30℃に低下していました。一般的な猫の体重は4㎏位。平熱は38.5℃です。骨と皮だけという形容がぴったりで、膿性の目ヤニと鼻汁が顔の半分位を覆い、やっと生きているという状態でした。
たまたまこの猫を道端で見つけてしまった為に、伊藤さんには様々な責任が生じてしまいました。彼女はパートナーにこの出来事を知らせ、相談する為に彼の携帯に電話しましたが、あいにくと繋がりませんでした。今までこのようなケースで、ご主人の理解が得られなかった例も見てきただけに、伊藤さんの美しいお気持ちが無駄にならなければ良いがと内心心配しました。
夕方伊藤さんがパートナーを伴ってやってきました。彼は彼女が連れてきた猫をまるで男性が初めての我が子に対面した時のような表情で、満面の笑みを浮かべてのぞき込むのでした。そして、回復したらその猫を引き取ることが、既に決まっていたのです。病状がわずかでも良好な時の彼の笑顔の眼差しと口元のほころびがとても素敵で、本当に心優しい男性だなと心打たれるばかりでした。
そしてこのような心優しい男性と価値観を同一にして生活して行ける伊藤さんは、なんて幸せな女性なんだろうとつくづく思いました。
しかし喜びも束の間、血液検査で猫エイズに罹っていることが判明したのです。この病気は人間には感染しませんが、猫同志お互いに舐め合ったり、食器の共有で感染する可能性もあるので、他の猫とは隔離しなくてはなりません。ところが伊藤さんは既に猫を1匹飼っていて、しかもワンルームマンションにお住まいだったのです。隔離は不可能でした。一時は暗い雰囲気に包まれましたが、なんと伊藤さんはこの猫を迎え入れる為に2DKのマンションに引っ越すことにしたのです。
最初は灰色の猫だとばかり思っていましたが、病院で清潔な環境にいるうちに汚れが落ちてきて、どうやら白いネコらしいと気付き始めました。21日間の闘病の末、皆の声援に支えられて病気を克服し、めでたく退院できる日を迎えました。お祝いにシャンプーしてあげると純白の猫になったのです。みにくいアヒルの子が、見事に白鳥に変身し、伊藤さんの胸に大事に抱かれ、新しいマンションへと向かいました。